音楽に取りつかれた話
2018年8月19日 Magic: The Gathering コメント (4)"音楽を聴く"
それは人間の五感の一つ"聴覚"を用いて楽しむ娯楽の一つである。
これを読んでいる皆さんは、いつから音楽を聴くのにハマっただろうか?
「Mr.Children」「BUMP OF CHICKEN」「ロードオブメジャー」「モンゴル800」etc...
はたまた「THE BLUE HEARTS」だったり「UNICORN」だったり。
何かしらきっかけになるアーティストがいたのではないか。
"音楽を聴く"のはもちろん楽しい。
ただ、人間とは欲深い生き物でその先を求めてしまう。
"自分で歌ってみたい"
みんなに聴いてほしい。
ただ、この楽しさを共有したい。
俺(私)の歌を聞けぇ~!!ってバサラやシェリルのように己の歌で世界を救えるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。
そして人々は歌いたい衝動を抑えられなくなり一つの場所にたどり着く。
"カラオケ"だ。
自分のエゴの為に歌うのだ。
エゴの為に行きつく、これは戦いだ。
人々は"戦い"を求めてしまうのだ。
そこには同じ考えの人たちが集まり、みな戦おうとしてる、もはや戦場なのだ。
それほどまでに音楽には中毒性がある。
NO MUSIC,NO LIFEという言葉があるように音楽とは麻薬なのだ。
ヘロイン・コカイン・ミュージック。
サイン・コサイン・ミュージック。
つまり音楽とは麻薬であり、カラオケとは戦場なのだ。
何を言ってるんだと思うかもしれないが、それは正しい。
今これを書いてる本人でさえ何を書いてるのかさっぱりだ。
でも、音楽は麻薬だ、カラオケは戦場だ。
この事実は、覆らない。
戦場で麻薬でも使おうものならすぐさま死んでしまう。そう考えた人たちは正しいのかもしれない。
だが、一緒に行っている人たちもまた、戦場で麻薬を使用しているのだ。
「カラオケ行こうぜ~」なんて軽々しく口にしていいものではない。
「いいよ~」なんて返事が来た日には戦場になる。
リアルサバイバルゲーム。
ローマ字で書くと、REAL SURVIVAL GAME。
この密閉された空間は狂っている、そう、パンドラの箱なのだ。
皆さんもそう思ったことあるだろう?
あ、ない?
話を戻そう。
皆さんはこんなことはないだろうか?
突如としてそれが聞きたくなって、そればっかり聞くようになり、何事も無かったかのようにまた平穏な日常に戻っていく。
疾風のように現れて、疾風のように去っていく月光仮面のような中毒性のある音楽。
麻薬の中の麻薬。
KING OF DRUG。
まだまだケツの青い学生だった頃、ひたすらにMDに好きな音楽をぶち込んでは聞き、ぶち込んでは聞きを繰り返した日々、ありませんでしたか?
ぼくはありました。
そして、なんとなく歌詞を覚えてはカラオケに行く。
アニメのタイアップ、CMで流れてたあの曲、ミュージックステーション、金太の大冒険etc...
みんな思い思いの歌をあの頃は楽しんでいました。
そう、彼らに出会うまでは…。
ぼくの"音楽"としての概念をぶち壊してくれた素敵な出会いだった。
【B-DASH】というバンドをご存じだろうか。
凄い配管工(某M)のBGMに合わせた曲の一発屋ではない。
以下、Wikipediaから抜粋。
このオルタナティブロックバンドが完全にぼくの学生時代の火付け役となったのだ。
ご存じない方のためにやんわりとこのバンドの説明をさせていただくと、「オタクでもウェイでもなさそうないかにもパッとしない三人組が常軌を逸した全く意味の分からない歌を爆音でキメてくる」
最初に挙げたミスチルだのバンプだの平和的なバンドを和気藹々と嗜んでる中、突如彼らは現れた。
みんなが望遠鏡をのぞき込んでどうこうしようとしてる間に、ぼくは常人には到底理解できない歌を聞き込んでいたのだ。
彼らの人気曲に「ちょ」という曲がある。
まずは歌詞の初めの部分。
どうだろうか。
まさに衝撃的としか言いようのない歌詞、ひらがな・カタカナ・漢字・英語の見事なまでのフュージョン。
『常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない』アルベルト・アインシュタインが言っていた。
歌詞には何かメッセージ性のようなものが強く出ていてそれも曲の一つである。
そう考えていた時期がきっとありました。
既存の価値観をブチ壊すには充分過ぎる、卓越したワーディングセンス
出だしの「おーううぇーん瞑あーらさっちゅ」
日本では見ることのないどこかの民族の掛け声にすら聞こえるではないか。
非常にエモい。
そして最後の「医療隊マッカラ号 立派な拳法界 正方位」
「医療隊マッカラ号」とはなんなのか。
それに続く「立派な拳法界」「正方位」
医療隊マッカラ号が「そーれー峯圓冥(おそらく冥王星的なところ)」に行って立派な拳法界の正方位がなんだって?
ウン十年経った今ですら意味が理解できていないのだ。
彼らは博識であり、哲学者なのだ。
そう、B-DASHは哲学者集団なのだ。
ただ、これだけでは理解するのが難しいと思うのでもう一つ見てもらいたい。
これはパパーラという曲の歌詞である。
正真正銘、これしか歌詞が無い曲である。
カラオケに行ってもこれだけである。
ここまで清々しいと川柳のような趣も感じてしまう。
最初の「パパーラ」
あのパパーラだとパッと分かりますね。
真ん中の「パーラー」
フォーカスすべきはそこなのか。
そして最後の「パパーラパー」
誰もが経験したことがあるあの心情を描いてるんだ。
使われてるのは「パ」「ラ」「ー」のみ。
なのにここまでワクワクさせてくれる歌詞が存在するのだ。
しかもカラオケに行った際は「適当めちゃくちゃ語」の部分を好きに歌って良いという特典付きだ。
仲のいい友達と行ったならワイワイガヤガヤしても良し、想いを寄せてるあの人と行ってるならこのタイミングで告白するのも良し、むかつく上司と行ってるならさり気なく愚痴を織り込んでも良し。
もうぼくは彼らの虜になった。
カラオケでは彼らの曲を片っ端から歌い、学校のお昼の放送では放送室をジャックした。
もう無我夢中で全校生徒にパパーラさせたのだ。
部活の先輩にもパパーラ、好きな女の子にもパパーラさせたのだ。
止まることを知らなかった。目の前のことに一生懸命だったあの頃。
今考えるととても懐かしい。
月日は流れた。
ぼくの全てだったB-DASHは突如としていなくなったのだ。
何が、ぼくをそうさせたのかは分からない。
飽きたのか。それとも…飽きたのか。
急に心にぽっかり穴が開いたような、虚無感に苛まれた。
みんなは相変わらず、午前二時に踏切でエゴとエゴのシーソーゲームをしてる。
そんなのはもうお腹いっぱいなのだ。
あの感動がほしい。
そして出会ったのだ。
「SOUL’d OUT」
これがぼくとヒップホップの初めての出会い、最初で最後の出会いだった。
当時、ここまで生きてきてヒップホップについては本当に無知だった。
「Yo-Yo-」みたいな認識しか無くて、少し小馬鹿にしていたのも覚えてる。
蓋を開けてみればそこにいるのは「ちょっと厳つい兄ちゃんたちが良い感じのビートを刻みながら早口で何言ってるか分からない歌詞をマシンガンのようにぶっ放してくる。」
目を閉じて想像してほしい。
車高の低そうな車から爆音の音楽が流れてきていい感じのビートを刻んでる。
出てきた厳ついお兄さんたちは何言ってるか分からない。それがSOUL’d OUT。
彼らはたちまちクラスに広まり、そしてカラオケに行けば全員は全員歌えるようになるくらい浸透したのだ。
誰かが「ウェカピポ」といえば「ヨー」と返すくらいには浸透していたに違いないだろう。
いくら説明しても入ってこないと思うので彼らの代表曲「1,000,000,000 monsters attack」の歌詞を抜粋した。
どうだろうか。
どうだろうかと聞くのすら失礼に感じてしまう。
こちらは歌詞の冒頭部分にあたるのだが、まず「POW!!!!!」
スーパー某MのゲームでもおなじみのPOW。
破裂や衝突を意味する言葉だ。
いきなりぼくらの心をこじ開けてきて、一気になだれ込む圧倒的なまでの「アッ オゥ」
「アッ オゥ」とは…?とこれを読んでるおよそ7割くらいの人間が思ったでしょう。
音楽業界ではリズムキープしたい時や、歌詞に特に意味を持たせないときは「ラララ」と歌うのが暗黙の了解になってる。
大黒摩季や久保田利伸だってこの掟を破ることは無かった。
ところが、彗星の如く現れた彼らはその常識をいとも簡単に破ったのだ。
彗星の如く現れたんだ、無数の「アッ オゥ」に疑問を抱くぼくたちを置き去りにして、追撃を仕掛けてる。
そして快感になるのだ。
だんだんと体に染み込んできて、「アッ オゥ」と一体になる。
そして、最後に「アォゥワッ」をぶち込んでくる。
他の追随を許さないこの「アォゥワッ」
既存のアーティストでいうところのシャウトだったりキー上げだったりする部分だろうか。
それを「アォゥワッ」と鼻につく感じでめちゃくちゃかっこよく言うのだ。
冒頭部分だけでこの勢いなのだ。
素敵なものに出会えたと当時のぼくは悟った。
そして、曲はサビで一気に盛り上がる。
圧倒的なまでの「DE-VE-DE」
つまりデベディである。
「アッ オゥ」で今までの音楽シーンに衝撃的なまでの影響、物議を醸しておきながら、数十秒後には、突然の「デベデイ」
焦っちゃダメなんだ。
焦るとこの歌詞の意味が分からなくなる。
地下潜って送り溢れだす…?
ぼくたちが普段足をついてるアスファルト、その下に溢れ出すクリエイティヴィティのデベディがあるのだろう。
ではデベディとは何なのだろうか。
まだ見ぬデベディを求めて、再び放送室をジャックした。
カラオケで歌った。
だがしかし、この怒涛なまでのデベディは今でも分かっていない。
およそ今日本にいるほとんどの人間には理解することのできないもの、それがデベディなのかもしれない。
きっとこれがネクストレベルミュージック。
魂のステージがきっと違うんだ。っと。
卒業するまでこの意味の分からない「アッ オゥ」にハマっていた。
あやうく面接でも「アッ オゥ」と言いそうになるほどには。
そして、B-DASHのときと同じで彼らはまた消えていくのだ。
何事も夢中になると急にいなくなってしまう。
今ではすっかり大人になってしまい、あの頃のように夢中に、がむしゃらに音楽を聴くことは無くなってしまった。
しかし、彼らの火種はぼくの中に残っているのは間違いない。
いつまたその火が再熱するのかは分からない。
それは「パパーラ」した日かもしれないし、「デベディ」を見つけた時かもしれない。
放送室をジャックするレベルだ。
今度はBCCニュースだったり、国会中継もジャックしてしまうかもしれない。
だが、今は自分がどうなるかは分からない。
そう、また来るその日までは。
ななし
それは人間の五感の一つ"聴覚"を用いて楽しむ娯楽の一つである。
これを読んでいる皆さんは、いつから音楽を聴くのにハマっただろうか?
「Mr.Children」「BUMP OF CHICKEN」「ロードオブメジャー」「モンゴル800」etc...
はたまた「THE BLUE HEARTS」だったり「UNICORN」だったり。
何かしらきっかけになるアーティストがいたのではないか。
"音楽を聴く"のはもちろん楽しい。
ただ、人間とは欲深い生き物でその先を求めてしまう。
"自分で歌ってみたい"
みんなに聴いてほしい。
ただ、この楽しさを共有したい。
俺(私)の歌を聞けぇ~!!ってバサラやシェリルのように己の歌で世界を救えるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。
そして人々は歌いたい衝動を抑えられなくなり一つの場所にたどり着く。
"カラオケ"だ。
自分のエゴの為に歌うのだ。
エゴの為に行きつく、これは戦いだ。
人々は"戦い"を求めてしまうのだ。
そこには同じ考えの人たちが集まり、みな戦おうとしてる、もはや戦場なのだ。
それほどまでに音楽には中毒性がある。
NO MUSIC,NO LIFEという言葉があるように音楽とは麻薬なのだ。
ヘロイン・コカイン・ミュージック。
サイン・コサイン・ミュージック。
つまり音楽とは麻薬であり、カラオケとは戦場なのだ。
何を言ってるんだと思うかもしれないが、それは正しい。
今これを書いてる本人でさえ何を書いてるのかさっぱりだ。
でも、音楽は麻薬だ、カラオケは戦場だ。
この事実は、覆らない。
戦場で麻薬でも使おうものならすぐさま死んでしまう。そう考えた人たちは正しいのかもしれない。
だが、一緒に行っている人たちもまた、戦場で麻薬を使用しているのだ。
「カラオケ行こうぜ~」なんて軽々しく口にしていいものではない。
「いいよ~」なんて返事が来た日には戦場になる。
リアルサバイバルゲーム。
ローマ字で書くと、REAL SURVIVAL GAME。
この密閉された空間は狂っている、そう、パンドラの箱なのだ。
皆さんもそう思ったことあるだろう?
あ、ない?
話を戻そう。
皆さんはこんなことはないだろうか?
突如としてそれが聞きたくなって、そればっかり聞くようになり、何事も無かったかのようにまた平穏な日常に戻っていく。
疾風のように現れて、疾風のように去っていく月光仮面のような中毒性のある音楽。
麻薬の中の麻薬。
KING OF DRUG。
まだまだケツの青い学生だった頃、ひたすらにMDに好きな音楽をぶち込んでは聞き、ぶち込んでは聞きを繰り返した日々、ありませんでしたか?
ぼくはありました。
そして、なんとなく歌詞を覚えてはカラオケに行く。
アニメのタイアップ、CMで流れてたあの曲、ミュージックステーション、金太の大冒険etc...
みんな思い思いの歌をあの頃は楽しんでいました。
そう、彼らに出会うまでは…。
ぼくの"音楽"としての概念をぶち壊してくれた素敵な出会いだった。
【B-DASH】というバンドをご存じだろうか。
凄い配管工(某M)のBGMに合わせた曲の一発屋ではない。
以下、Wikipediaから抜粋。
B-DASH(ビーダッシュ)は、1997年から2017年まで活動していた日本の男性3人組のオルタナティブ・ロックバンド。Limited Records、東芝EMIを経てEXIT TUNESに所属していた。1997年に結成され、2017年に解散した。
このオルタナティブロックバンドが完全にぼくの学生時代の火付け役となったのだ。
ご存じない方のためにやんわりとこのバンドの説明をさせていただくと、「オタクでもウェイでもなさそうないかにもパッとしない三人組が常軌を逸した全く意味の分からない歌を爆音でキメてくる」
最初に挙げたミスチルだのバンプだの平和的なバンドを和気藹々と嗜んでる中、突如彼らは現れた。
みんなが望遠鏡をのぞき込んでどうこうしようとしてる間に、ぼくは常人には到底理解できない歌を聞き込んでいたのだ。
彼らの人気曲に「ちょ」という曲がある。
まずは歌詞の初めの部分。
おーううぇーん瞑あーらさっちゅ Way a そーれー峯圓冥 おーううぇーあーれそー円ちゅーあん Moーい We spare shull feh a shuweh 医療隊マッカラ号 立派な拳法界 正方位
どうだろうか。
まさに衝撃的としか言いようのない歌詞、ひらがな・カタカナ・漢字・英語の見事なまでのフュージョン。
『常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない』アルベルト・アインシュタインが言っていた。
歌詞には何かメッセージ性のようなものが強く出ていてそれも曲の一つである。
そう考えていた時期がきっとありました。
既存の価値観をブチ壊すには充分過ぎる、卓越したワーディングセンス
出だしの「おーううぇーん瞑あーらさっちゅ」
日本では見ることのないどこかの民族の掛け声にすら聞こえるではないか。
非常にエモい。
そして最後の「医療隊マッカラ号 立派な拳法界 正方位」
「医療隊マッカラ号」とはなんなのか。
それに続く「立派な拳法界」「正方位」
医療隊マッカラ号が「そーれー峯圓冥(おそらく冥王星的なところ)」に行って立派な拳法界の正方位がなんだって?
ウン十年経った今ですら意味が理解できていないのだ。
彼らは博識であり、哲学者なのだ。
そう、B-DASHは哲学者集団なのだ。
ただ、これだけでは理解するのが難しいと思うのでもう一つ見てもらいたい。
パパーラ パーラー パパーラパー(適当めちゃくちゃ語アドリブ)
これはパパーラという曲の歌詞である。
正真正銘、これしか歌詞が無い曲である。
カラオケに行ってもこれだけである。
ここまで清々しいと川柳のような趣も感じてしまう。
最初の「パパーラ」
あのパパーラだとパッと分かりますね。
真ん中の「パーラー」
フォーカスすべきはそこなのか。
そして最後の「パパーラパー」
誰もが経験したことがあるあの心情を描いてるんだ。
使われてるのは「パ」「ラ」「ー」のみ。
なのにここまでワクワクさせてくれる歌詞が存在するのだ。
しかもカラオケに行った際は「適当めちゃくちゃ語」の部分を好きに歌って良いという特典付きだ。
仲のいい友達と行ったならワイワイガヤガヤしても良し、想いを寄せてるあの人と行ってるならこのタイミングで告白するのも良し、むかつく上司と行ってるならさり気なく愚痴を織り込んでも良し。
もうぼくは彼らの虜になった。
カラオケでは彼らの曲を片っ端から歌い、学校のお昼の放送では放送室をジャックした。
もう無我夢中で全校生徒にパパーラさせたのだ。
部活の先輩にもパパーラ、好きな女の子にもパパーラさせたのだ。
止まることを知らなかった。目の前のことに一生懸命だったあの頃。
今考えるととても懐かしい。
月日は流れた。
ぼくの全てだったB-DASHは突如としていなくなったのだ。
何が、ぼくをそうさせたのかは分からない。
飽きたのか。それとも…飽きたのか。
急に心にぽっかり穴が開いたような、虚無感に苛まれた。
みんなは相変わらず、午前二時に踏切でエゴとエゴのシーソーゲームをしてる。
そんなのはもうお腹いっぱいなのだ。
あの感動がほしい。
そして出会ったのだ。
「SOUL’d OUT」
これがぼくとヒップホップの初めての出会い、最初で最後の出会いだった。
当時、ここまで生きてきてヒップホップについては本当に無知だった。
「Yo-Yo-」みたいな認識しか無くて、少し小馬鹿にしていたのも覚えてる。
蓋を開けてみればそこにいるのは「ちょっと厳つい兄ちゃんたちが良い感じのビートを刻みながら早口で何言ってるか分からない歌詞をマシンガンのようにぶっ放してくる。」
目を閉じて想像してほしい。
車高の低そうな車から爆音の音楽が流れてきていい感じのビートを刻んでる。
出てきた厳ついお兄さんたちは何言ってるか分からない。それがSOUL’d OUT。
彼らはたちまちクラスに広まり、そしてカラオケに行けば全員は全員歌えるようになるくらい浸透したのだ。
誰かが「ウェカピポ」といえば「ヨー」と返すくらいには浸透していたに違いないだろう。
いくら説明しても入ってこないと思うので彼らの代表曲「1,000,000,000 monsters attack」の歌詞を抜粋した。
POW!!!!!
アッ オゥ アッ オゥ
アッ オゥ アッ アッ アッ オゥ
アッ アッ アッ アッ アッ アッ
アッ アォゥワッ
どうだろうか。
どうだろうかと聞くのすら失礼に感じてしまう。
こちらは歌詞の冒頭部分にあたるのだが、まず「POW!!!!!」
スーパー某MのゲームでもおなじみのPOW。
破裂や衝突を意味する言葉だ。
いきなりぼくらの心をこじ開けてきて、一気になだれ込む圧倒的なまでの「アッ オゥ」
「アッ オゥ」とは…?とこれを読んでるおよそ7割くらいの人間が思ったでしょう。
音楽業界ではリズムキープしたい時や、歌詞に特に意味を持たせないときは「ラララ」と歌うのが暗黙の了解になってる。
大黒摩季や久保田利伸だってこの掟を破ることは無かった。
ところが、彗星の如く現れた彼らはその常識をいとも簡単に破ったのだ。
彗星の如く現れたんだ、無数の「アッ オゥ」に疑問を抱くぼくたちを置き去りにして、追撃を仕掛けてる。
そして快感になるのだ。
だんだんと体に染み込んできて、「アッ オゥ」と一体になる。
そして、最後に「アォゥワッ」をぶち込んでくる。
他の追随を許さないこの「アォゥワッ」
既存のアーティストでいうところのシャウトだったりキー上げだったりする部分だろうか。
それを「アォゥワッ」と鼻につく感じでめちゃくちゃかっこよく言うのだ。
冒頭部分だけでこの勢いなのだ。
素敵なものに出会えたと当時のぼくは悟った。
そして、曲はサビで一気に盛り上がる。
だからそう焦っちゃダメ I SET YA FREE
地下潜ってGOOD DAYS 送り溢れ出すCREATIVITY
DE-VE-DE DE-VE-DE-VE-DE
(DE-VE-DE-VE-DE DE-VE-DE-VE-DE!)
圧倒的なまでの「DE-VE-DE」
つまりデベディである。
「アッ オゥ」で今までの音楽シーンに衝撃的なまでの影響、物議を醸しておきながら、数十秒後には、突然の「デベデイ」
焦っちゃダメなんだ。
焦るとこの歌詞の意味が分からなくなる。
地下潜って送り溢れだす…?
ぼくたちが普段足をついてるアスファルト、その下に溢れ出すクリエイティヴィティのデベディがあるのだろう。
ではデベディとは何なのだろうか。
まだ見ぬデベディを求めて、再び放送室をジャックした。
カラオケで歌った。
だがしかし、この怒涛なまでのデベディは今でも分かっていない。
およそ今日本にいるほとんどの人間には理解することのできないもの、それがデベディなのかもしれない。
きっとこれがネクストレベルミュージック。
魂のステージがきっと違うんだ。っと。
卒業するまでこの意味の分からない「アッ オゥ」にハマっていた。
あやうく面接でも「アッ オゥ」と言いそうになるほどには。
そして、B-DASHのときと同じで彼らはまた消えていくのだ。
何事も夢中になると急にいなくなってしまう。
今ではすっかり大人になってしまい、あの頃のように夢中に、がむしゃらに音楽を聴くことは無くなってしまった。
しかし、彼らの火種はぼくの中に残っているのは間違いない。
いつまたその火が再熱するのかは分からない。
それは「パパーラ」した日かもしれないし、「デベディ」を見つけた時かもしれない。
放送室をジャックするレベルだ。
今度はBCCニュースだったり、国会中継もジャックしてしまうかもしれない。
だが、今は自分がどうなるかは分からない。
そう、また来るその日までは。
ななし
コメント
ちょのインパクトが強すぎて、平和島は普通に感じたなぁ
誰もが通る道ですよねw
自分DVDに一瞬だけ写ってますよww
>joさん
マニュアル通りに生きたって何も始まらないって良い歌詞ですよね。
歌詞がまっすぐなB-DASHもそれはそれでかっこよくて好きですよw
>twelve01100さん
こんなにめちゃくちゃ長いの書いたのに何も為になること書いてないのも問題ですけどね…w